条件付きで自分を愛するのはもうやめよう
【条件付きで自分を愛するのはもうやめよう】
こんにちわ やまのうえの魔女みきです
人の良いところを見たいとは思うけど、、、
ついつい悪いところが目につくあなたへ
情報発信をしている人を見て、口には出さなくても心のどっかで批判してみたり
コンビニで働いてる人をみて、「あんな仕事ようせんわ」と否定したり
子供がゲームばかりしていることを受け入れられずに腹を立てたり
その心を
よくよくみてみると
○○だったらOKだけど
○○はダメ!!って心が言ってるでしょ?
情報発信でお金を稼ぐのはダメだけど、地道にコツコツ稼ぐんなら良い、、、とか
コンビニで働くのはダメだけど、一流企業なら良いとか
ゲームばっかりするのはダメだけど勉強なら良いとか
○○だったら、、、良いって何?
○○じゃなくても良いやん
そこを否定して
受入れられない分だけ
自分の首を絞めてるんやで?
それを”条件付きの愛”といいます
それはどこからきているんでしょうか?
子供の時
「テストの成績が良かったらあのオモチャ買ってあげる」と言われたり
お手伝いしたらお小遣いあげるとか
マラソンで一等だったら褒めてあげるとか
○○だったら良いという条件が
しみついちゃった結果なんですね
だから
知らず知らずに自分で
自分の行動に条件をつけちゃうのです
条件付きの愛の反対は何でしょう?
それは”無条件の愛”です
テストの成績が良くても悪くても、オモチャを買ってあげたり
お手伝いしても、しなくても存在そのものを愛してあげる
マラソンで一等でもビリでも、大好きだよ
そういう愛です
何を隠そう、私も自分の幸せに、何かと条件をつける感受性を持っていた
超絶生きにくいピープルでした
同じ環境で育っても弟は全然生き辛そうじゃないので
きっと私の感受性の課題なんです
特に子育て一年生の時に、この癖はメチャクチャ出てました
氣が付いたら条件まみれでイライラ
ちょうど、そのころ潜在意識教育(野口整体)を学んでいたので
テストの成績が良かったらオモチャを買ってあげる←は
そのまま潜在意識にダイレクトにいって
生き辛さに繋がると知って
少しづつですが氣付いては止めるようにしました
自分の心に言い聞かせるように
「一等でもビリでも○○ちゃんの事が大好きよ」と言い続けました
子育ては
まさに自分育てなおしプロジェクトです
壮大やな
子育てがない人は
自分の行動に自分の中の裁判官が出てきたら
是非100パーセント味方をしてあげましょう
(そんなことしてたらダメなんじゃない?)
(いいんだよ、いいんだよ)と
ダメな自分でも、情けない自分でも全部ひっくるめて
(いいんだよ)とOKを出す
ありのままの自分でOK
条件を付けずに受け入れる
そこの安全安心が満たされないと
【本当の自分の感覚】と
【人から言われたから】の差が分からなくなります
【条件付きで自分を愛するのはもうやめよう】
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自分にどんな制限をかけているか知りたい方は
自分がそもそもどんな人か知りたいときは魂の青写真ホロスコープで確認
草木染で自分の感覚と仲よくなろう
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